【23.02】京都旅9《梅めぐり》3/3日目 三十三間堂・城南宮

京都

この日のスタートは朝カレーから。ホテルでゆっくり朝食をいただいて出発するのももちろんよいですが、せっかくならいろんなお店を廻りたいですね。

三十三間堂

中学の修学旅行以来の三十三間堂です。

とにかく古い・暗い印象しかなかった(お寺はだいたいそういうものです)三十三間堂ですが、拝観入口と物販(と言っていいのかな)は新しくてちょっとびっくり。

写真はないのですが(撮影禁止なので)千体千手観音立像は1001体。圧巻です。おひとりおひとりお顔も体つきも違っているのは知っていましたが、検索システムができていてそれもびっくり。
全部にお名前あるんですね…

↓三十三間堂HPより拝借しています↓

また、『通し矢』というのも行われており、(仏様の後ろ側は展示コーナーになっています)建物内を歩きながらこの建物の端から端までか…と文献を体感で味わえるのがよかったです。

その始まりは伝説的で不明ですが、桃山時代には、すでに行なわれたと伝えます。
  「通し矢・とおしや」は、お堂西縁の南端から120メートルの距離を弓で射通し、その矢数を競ったもので、矢数をきめて的中率を競う「百射・ひゃくい、千射・せんい」等があり、江戸時代、殊に町衆に人気を博したのは「大矢数・おおやかず」で、夕刻に始めて翌日の同刻まで、一昼夜に何本通るかを競うもので、慶長11年(1606)の浅岡平兵衛の試技以来の武芸者の栄誉をかけたものとなり、尾張、紀州の二大雄藩による功名争いは、人気に拍車をかけ、京都の名物行事となりました。
  「矢数帳」には、通し矢法を伝承した〈日置六流・へきろくりゅう〉の江戸期の試技者氏名、月日、矢数などが編年で書き留められており、最高記録は、貞享3年(1686)4月、紀州・和佐大八郎(試技年齢は18歳という)の総矢13,053本、通し矢8,133本で、強靭な身心にしてこそ可能な凄絶な競技だったことが窺えます。

三十三間堂HPより

三十三間堂を後に、ランチとデザートへ。

城南宮

しだれ梅が美しい、とのことでやってきました。城南宮です。

咲いてな…

しだれ梅は勝手に早咲きのイメージがあったんですが、そうでもないようです。

中には咲いている木もありました。

“枝垂れ梅と落ち椿”が一番のお目当てでしたが、やっぱり早かったですね。梅も散りはじめぐらいのほうがこの景色は良さそうです。

椿のお花も“見頃”というほどには咲いておらず…

お目当てのお花には時期が早かったですが、それでもお天気は良く、あまり混んでもいなかったので散策にはそんなに悪くない日でした。

京都駅近くで夕食のつもりが、お目当てのお店はなんと予約で入れず…
たまには早めに帰宅することにします~

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